バイク遍歴 ~ 1980年代→2020年代 ~

過去バイクの遍歴を記憶を辿って書き綴っておこうかと思います。
これまであまり沢山のバイクを乗ったという印象は無かったのですが、こうやって改めて見てみるとそれなりに多く乗ってきてるんだなあというのが正直な感想です。勿論公道用ではなくサーキット専用として乗っていたナンバー取得していない車両も含まれてはいますが、それでもまあまあな歴史になるなと。私自身大型免許(昔で言う限定解除)は持っておらず、今後も取得するつもりはないのですけど、400cc以上のバイク所有は一切なく50cc~250ccという狭い領域で色々遊んでたんだなと改めて思います。この記事で紹介しているバイク以降はブログで個別記事にしているFZR250R以降となるのですが、そちらに関しては個別にご覧頂ければと思います。

なお写真はメーカー写真で実際に乗っていた仕様ではありません。年式的にも写真を間違えているかもしれませんが記憶が曖昧なのでお許しを(笑)

■ホンダ モンキー50(~1986頃)

あまり詳しくはないのですが、ロータリー式ミッションというのですかね。スーパーカブとかと同じようなガチャコン!と踏んでギアを変えていくやつ。自分が小学生頃だったか、母親が近所の買い物に行くために買ったらしいバイク。父親は記憶では殆ど乗っておらず母親の近所の足代わりに使われてたと思います。あまり女性でバイクを乗り回す人が近くに居らず、友人たちがお前のかあちゃん若いな~ってよく言われてたのを思い出します(笑)

私が高校生になって、親に内緒で原付免許を取りに行った後に免許の事がバレたのか自分から言ったのかは定かではありませんがこれを乗らせてもらうようにしたと記憶しています。今から思えばですが親もある程度自由にさせてくれてましたし、16歳そこらで免許取ったばかりの子供みたいな息子がバイク乗ってウロウロするとか心配じゃなかったのかなと今になっては思います(笑)。自分の息子が高校生の頃はバイクに乗りたいとかは言わなかったですが、もし乗りたいとなったら危ないから反対していたと思うので(笑)。実際このバイクに乗ってた際に周りに何もない一本道でハンドルが振られて(運転しながら足を延ばそうと立ち上がったのが原因)ハイサイドというのか分かりませんけどバイクから振り落とされて肩から着地し余りの痛さに翌日病院に行ったら鎖骨骨折していたという今でも友人たちの笑い話になる逸話もこのバイクでした。

バイクそのものは頑張って60km/h出るかどうかの遅いバイクでしたが、今まで足で漕いで人力で動かしていた自転車から、何の労力も無く右手をひねれば前に進んでくれるバイクという乗り物に感動・そして爽快感を感じたのが凄く記憶に残っています。投稿日時はカテゴリー内表示の都合上あえて古い日付で登録していますが、この記事を書いている2024年現在、まさか50過ぎてからもバイクに乗っているとはこの時は想像もしていませんでした。そして乗り物(二輪・四輪)やモータースポーツに更に興味を持つ出来事になる最初のキッカケのエンジン付き乗り物に触れた時期だったのではないかなと記憶しています。今でも自動車関連業界への仕事をしてモータースポーツ業界にもそれなりに人脈が出来ているのもそうですけど、まさに私の人生の大きな分岐点になるかと思われる最初のバイクではないかなと思います。

■スズキ ジェンマ50(1986~1987)

このバイクはモンキーがあまりに古い為、そして小さいバイクなので少し安定感のあるどっしりとした今時?のスクーター形状のバイクを買うかという事で親がモンキーを手放して買い替えたバイクだったと記憶しています。とは言えあまり親がこのバイクを乗っていた記憶が無いんですよね。私ばかりが乗っていたような・・そして当時めちゃくちゃ流行ってたバンド「BOOWY」のステッカーとか貼りまくってたので(笑)、親も恥ずかしくて乗れなくなっていたのかもしれません(笑)
このバイクで凄く印象に残っているのは、エンジン始動直後のいわゆる「エンジン冷間時」はめちゃくちゃ蹴り出しが良かったんです。エンジンが温まってくると全く走らないバイクでして(笑)。当時は何の知識もなくそういうものだと思ってましたが、父親がそのバイクで近所に買い物に行くと言って乗ったんですが(後にも先にも親がこのバイクを乗っていた記憶はこの時だけ)、エンジン始動して直ぐにアクセル全開にしたらしく、前述通り冷間時の蹴り出しが良いお陰で家の前からお向かいの家のコンクリートブロックへウイリーしながら親父を引きずりながら一直線。思いっきり壁にブチ当たって転倒という惨劇を目の当たりにしまして(笑)。勿論大きな怪我など無かったのですがあれは今でも凄く記憶に残ってますね。

バイク自体はなんていうのでしょう、当時の外装がプラ(ABS?)な小柄な軽量スクーターな感じではなくベスパのような大柄でめちゃくちゃ重たいバイクでした。サイドスタンドが無くセンタースタンドだけだったような。スタンドを上げるのにコツが掴めず何時も苦労していた記憶がありますね・・。当時は空前のバイクブームでそろそろ自分のバイクが欲しいなと思い始めていたような時代だったかと思います。

■ヤマハ チャンプ50(1988~1989)

今となっては記憶が無いのですが、確か高校時代の友人から売ってもらったかだったと思います(今から思えば高校生同士でバイクの売買とか凄いですよね・・)。初めての自己所有のバイク。そして現行モデルではありませんでしたが当時の流れを汲むデザイン・造りのスクーター。めちゃくちゃ愛着があったのを思い出します。そしてバイクを弄るというのを初めて覚えたバイクでもあります。当時バイクの情報を得るには沢山出ていたバイク系月刊誌や口コミ的な噂などを信じるしかなかったんですが、当時のスクーター(今もその機構かもですけど))はプーリーというものを改造しウエイトローラーが遠心力で出来るだけ外に行けば行くほど無段変速のベルト位置の兼ね合いで最高速が伸びるというのを知り、アフターパーツメーカーからも交換用プーリーが売ってたりしてましたが貧乏高校生に買えるわけもなく。ショボい工具を使って分解して眺めてたら「この部分を削ってローラーが外に行くようにすれば純正加工でもいけるのでは」と思い、実際に試してみて試走してみたら今まで60km/h出るか出ないかだった最高速がなんと70km/hくらいまで出るようになり、とてつもなく感動をしたのをはっきり覚えています。理屈を考えて検討して改良したら結果が出た。あの時の衝動が今も続くバイクやクルマ弄り、というよりはDIYで何でも自分でやってみようという性格になった最初のきっかけだったように思います。あの時は自宅近所の堤防道で空気抵抗を抑える為思い切り伏せて全開にして走らせていましたが(笑)その時の光景は今でも覚えています。

その後どうやって入手したか覚えていませんが(多分友人から売ってもらった)チャンプ80搭載の80ccエンジンに載せ替え(載せ替え手順は全く分からなかったのでエンジン所有していた友人と一緒に載せ替えました)、そのあまりのパワーアップに感動したのもよく覚えていますね・・確かプーリー改造も含め普通に80km/h以上出るようになりましたし、低速トルクが鬼のように増えたのも印象的でした。最終的には当時フジテレビで全戦中継が始まったF1GPに日本人初のF1ドライバーとなった中嶋悟氏に感化?されキャメルカラーに全塗装するという事もしました。今から思えば下地処理も何もせずいきなり黄色にに塗ってしまったから後からパリパリと剥がれてしましましたが(笑)、黄色に塗った後にスポンサーロゴはカッティングシートから全て手で切り出したロゴを貼ってました。そのマメさも未だに受け継いでますが(笑)、自らの手でどんどんカッコよくなっていくのを見るのが凄く楽しかったです。注目度もかなりありましたしね(笑)

最終的にこのスクーターをどうしたのか全く記憶にありませんが友人か誰かに売ったか譲ったりしたのかなと思いますが、とても懐かしい記憶です。

■ホンダ MC19型 CBR250R(1989~1991)

当時は本当に凄いバイクブームでした。私自身高校を卒業して大学生になってすぐバイクパーツ用品店にアルバイトに行く事になるのですが、大きいバイクに乗りたい!レーサーレプリカに乗りたい!という気持ちはどんどん高まっていた時期だったと思います。高校生の時でもNSR250R乗って通学してるヤツもいましたし(笑)、2人に1人はバイクを乗っているような感覚で、鈴鹿8耐は空前の人出を集め、各メーカーがとんでもない性能の250ccバイクを毎年フルモデルチェンジして発売するというバブル時代ならではの時に、アルバイトでそのようなお店に行ったものだから感化されないはずがありません(笑)

そんな時、高校時代の友人がCBR250Rを買ったものの元々バイクが好きではなかったのかなと思いますが自分にはバイクは合わないという事で譲り先を探していると聞きます。当時はそんなタイプの人間でもバイクを買おうとするような時代だったんです。私にとっては願っても無いチャンス。まだ距離も走ってない程度が良いバイク。バイトしてるので少しは元手がある。迷わず買いました。初めてのレーサーレプリカ、丸目2灯カウル、ホンダならではのトリコロールカラー、4スト250では当時珍しいリア140サイズの極太タイヤ、アルミフレームなど素晴らしい内容。当時も言われてましたけどフロントシングルディスクだけ気になる点でしたが私もそこだけダブルだったらなあと見た目だけに拘る部分もあったのかな。制動力的にはシングルで十分だという判断だったのでしょう。バネ下も軽くなりますしね。まあそんなこんなで手に入れたレーサーレプリカ。これは今でも思い出に残ってますけど大事にしてましたし色々弄り倒しましたし色んな所にいったなあと。

ハリケーンのセパハンにコワースだったかな?のバックステップ、OVERのアルミフルエキゾーストにオメガの片目耐久アッパーカウル、それ以外の記憶がありませんが(笑)アチコチ色々と弄ってました。バイク用品店のバイトだったので工具も何でもあって整備設備も整っていたので何でも自分でやってましたね。サービスマニュアルさえあればある程度出来ましたし、当時は怖いもの知らずというか何でもやってみるという感じでした。今もそうですけど(笑)、自分で弄る・自分で何でもやってみるという人間形成?はこの時に確実に作られたと思っています。

今ではもう無理ですけど乗鞍岳の山頂付近(確か標高2800mくらいのところ)までこのバイクで行ったのですが、途中からエンジンが回らなくなり、アイドリングもしなくなるという空気が薄くなるとこうなるんだという症状を体感したり、色んな場所へツーリングに行ったり山で遊んだり(そんな無茶な事はしませんでしたが)、2回くらい事故して怪我したりバイクを自分で修理したりと色んな事がありました。最終的にはバイト先でFOR SALEという形で個人売買して売っちゃいましたが、この時の様々な良い記憶から数十年後にまた250ccレプリカを乗りたくなったのかなと思います(笑)

■ホンダ NSR50(1990~1992)

当時仲間内で名阪スポーツランドでミニバイク走行会が流行っていた時期でした。それぞれがサーキット用車両を車で持ち込んで走らせていて良いなと思っていました。当時はNSR50全盛の時代でタマも無限に転がっているような状態でした。確かこのNSRも3万円くらいで誰かから売ってもらった記憶があります(今じゃ考えられませんが)。それを名阪で走らせていた記憶があります。特に大きな改造を施したりとかはしてなかったと思います。ナンバーも取ってませんでしたので公道では一切走らせる事もなく、サーキット用として所有していましたね。記憶の限りではリミッターカットくらいだったような。それでも十分楽しめて走れました。カウルは真っ白にしていたような。こちらも最終的にどうしたのか全く記憶にありませんが(笑)、きっと誰かに売ったか捨てたかしたのでしょう。

■ホンダ NS50F(1990~1992)

上記NSRと同時所有していた記憶があります。12インチのNSRと違って17インチ(だったかな)のフルサイズ2スト50ccのバイクを所有しなければいけない何か理由があったのかは定かではありませんが(笑)、こちらも1万円だったか2万円だったかは忘れましたが格安で手に入れた記憶はあります。このバイクを所有して何をしたのかという記憶が殆どないのですが(笑)、きっとサーキットで走らせていたのかと思います。こちらもナンバー取得せず公道では走らせてなかったと思います。

■ホンダ MD20型? XLR250(1990~1991)

当時勤めていたバイト先(バイク用品店)でオフロード車でのモトクロスごっこが流行っていた時代でした。当時アメリカのスーパークロスがバイト先で流行っていて皆BSで見ていました。ジャン・ミシェル・バイルやジェフ・スタントン、ガイ・クーパーやマイク・ラロッコ、デーモン・ブラッドショウやその先にジェレミー・マクグラスが出てきた時代ですね。それにバイト先の仲間が感化?されたのか河川敷のエンデューロコース(今思えば誰かが勝手にコース作ってたのでしょう)でバイクを走らせるのが流行ってまして、CBRしか持ってない私は楽しそうだなーと思っていました。
そんな時にボロボロのXLRを買いますかという話がお店の常連さんか誰かから多分あったのだと思います。これも5万くらいで買ったような記憶がありますが(笑)、オフロード装備を一式揃えて皆と一緒に走らせ始めたのが私のダート走行の成り初めですね。バイクは転倒すると身体もお財布にも大ダメージを与えるというイメージがありましたが、元々ボロボロのバイクでしたし転倒してもバイクは壊れませんし大きな怪我をする事もないので、こんな気楽に遊べるのかと凄い新鮮な感覚でした。毎週何度もバイト始業前に早朝河川敷へ赴き走りまくって練習してはそのままバイトへ向かうという(大学の授業は?という突っ込みは無しで)生活をしていましたが、自分がどんどん上手く乗れるようになっていく・乗りこなせるようになっていくという感覚が常にあって、恐らく一番バイクに乗るのが楽しかった時期ではないかと思います。

ただ時代は2st250ccの40馬力あるようなモンスターオフロードバイク全盛期。周りの仲間はDT200WRやCRM250R、KDX250SRにTS200Rなど2stバイクだらけでバイクの戦闘力としては非力感は否めませんでした。まあそれでも非力なバイクだからこそ安心して攻められたのかもしれませんし上達していけたのかもしれません。スーパートラップマフラーを付けてとんでもない爆音で良く走っていたなと思いますが(笑)、このバイクも今につながる系譜として忘れられない思い出ですね。

■ホンダ MD24型 CRM250R(1991~1995)

XLRの時に感じていた非力感。やっぱり本格的にエンデューロにのめり込むなら2スト250ccのバイクだよなあと考えていた頃、友人がCRM250RからRMX250に乗り替えるという事でCRM買わない?という声がかかります。何時もそうですけど、こんな感じの巡り合わせが多いんですよね。何故か(笑)。CRMを買うために所有していたCBR250Rを売却して乗り換える形になったかと思います。初めての2st250のバイクは刺激的というか暴力的な加速ですさまじかったですね。初めて乗った時はXLRとの違いがありすぎてこんなの乗れるのだろうかと怖かった記憶があります。2ストですからエンブレも効きませんしね。最終的には外装をレーサーのCR仕様にしたりチャンバー交換したりでホントに速いバイクになりました。確かこのバイクを乗っていた際にバイク用品店のアルバイトを辞めて某会社へ正社員として入社し、このバイクで通勤していたのを思い出します。信号ダッシュでは何もしなくても勝手にフロントウイリーしてましたので、今じゃ考えられないヤバいバイクだったかと思います。軽い上に40馬力あるエンジン、チャンバー交換で更に速くなったので40馬力は余裕で超えてたんだろうなと思います。2ストバイクのチャンバー交換での変化は本当に凄かった。変わった気がするとかそんなレベルじゃなく、別物のバイクになったかのような豹変っぷりです。凄い時代でした・・

当時の戦闘力としては一級品のバイクを手に入れたので、ダート遊びも熱が入ります。単独だったりペアだったりいろいろありましたがエンデューロレースにもよく参加するようになり、表彰台を獲る事もしばしば。そんなこんなで調子に乗っていたんだと思いますが、どこかのクローズドコースで練習走行していたんですが、誰も飛ばない2連ジャンプとかもバンバン飛んで走ってて良い感じにウォッシュボードを全開走行していた際にバランスを崩して転倒。その際に足首を怪我して当時勤めていた会社を2週間くらい休む事になってしまいました(営業車の運転が出来なくなったので)。その時に良い歳して正社員として勤めてるのに遊びで怪我して会社に迷惑かけてていいのか?という気持ちになり、その怪我を境にバイクに乗らなくなりました。そのCRMも転倒して怪我した時の状態のまま確か10年くらい放置。ナンバーを抹消して実家に放置していたのですが、最終的には野良ネコの昼寝場所になってて邪魔だから捨ててくれと実家から言われ(笑)、ヤフオクか何かで個人売買して処分したように記憶しています。あの当時はゴミみたいに思ってたので1万円くらいで売れたら御の字と思ってましたけど、予想以上の高値で売れてビックリした記憶があります。当時は完全に2ストが絶滅してたのを知るのはもっと後のこと。正直あのままずっと残してたら今頃コツコツとレストアしてきっと復活させてただろうなーと思います。

怪我したのが確か23歳か24歳くらいだったかと思いますが、それから20年ちょいくらいバイク空白期間が出来たという形ですね。

そして長らくの休眠期間を経て本ブログで記事にもしている3台、ヤマハ FZR250R(3LN1)を手に入れ、そこからヤマハ セロー250(DG11J)に乗り換え、現在のホンダ CRF250L(8BK-MD47)に続きます。バイク復帰した最初のバイク、FZR250Rに乗る事になったのもこれまたちょっとしたキッカケだったんですよ(笑)

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