もう14年か・・。
今から14年前の1994年5月1日。皆さんは何をされてましたか。
私は何をやってたかまでは覚えてませんが(なら聞くなよ!というツッコミは無しで・・)、深夜に始まるフジTVのF1サンマリノGPを楽しみに待ってました。視聴時は近所の幼馴染と一緒にTV観戦するのが決まりごととなってたんですが、その時も何時ものように私の部屋で今日のレースはどうなるのかなーといった他愛も無い会話をしていたように思えます。
ちょうどその当時はミハエル・シューマッハがいよいよ台頭してきて、まさにセナが追われる立場に変わった年といえますよね。あの時はちょうどレース開始前(22時台)にニュースでセナがクラッシュしたというニュースを前もって知ってたのですが、ニュースではどうやらケガをしたという雰囲気でした。その幼馴染はセナの大ファンだったので、セナがクラッシュ=レースで勝てなかった、という事ですので「面白ないわー」と喋っていた事を思い出します。私自身は特定のドライバーを応援するスタイルではなかったので、じゃあ今日もシューマッハかなー・・右京はどうだったんだろう・・と色々思い浮かべながらレース放送を待っていた感じでしたが、事故の事も何だか引っかかっていました。前日のラッツェンバーガーの件や一昨日のバリチェロの件もあったので。けど1989年にベルガーがタンブレロでクラッシュしたときもニュースでやってましたが無事でしたから、まあ大丈夫だろうと・・。
まさかあんな事が起こっていたとは夢にも思っていませんでした。
いよいよレースが始まる時間に、いつもの放送開始ではなくいきなり三宅さんと川井ちゃん、今宮さんがいきなり映し出されてしゃべりだした瞬間、これはやばいのでは?と直感しました。そして事故の模様をずーっと放送していましたが、見れば見るほど「これはまずい」という思いが強まるばかりでした。最終的にセナがヘリコプターで空輸されたあと、再スタート後のレース放送が再開されました。何かあったら至急お伝えします、というコメントを残して。
そして暫くレースを見ながらもレース展開とか全く頭に入らず、頼むから画面が切り替わってへんな事を言わないでくれと幼馴染と話していたと思います。とにかく気が気じゃなかったように記憶しています。あの時は右京もお姉さんを亡くしたばかりで素晴らしい走りを見せていましたが、それすら殆ど印象に残っていませんでした。
そんな風に思いながらレースを見ていたとき、いきなり画面が切り替わりました。放送開始時と同じアングルで三宅さん川井ちゃん今宮さんの3人がピットウォール横で立っているシーンから始まりました。そして全員の表情を見た瞬間確信しましたね、最悪の結果を・・。その後のコメント内容等はYoutube等で上がっていたはずですので、ご覧になられた方も多いかもしれません。あれをリアルタイムで見ていた方の心境はたまらないものだったんじゃないでしょうかね。あの時の自分の部屋の空気感・幼馴染の顔・そして沈黙・・。全てが昨日のことのように思い出されます。
最後に今回使った写真ですが、ヘルメットを手前にポンと置いて憂鬱な顔を浮かべるセナ。イモラでのスタート前のワンシーンですが、これとは角度が違いますが同じシーンを撮った写真のポスター(150*100くらいの大きいやつ)は、私の部屋に14年間ずっと貼ったままです(下記写真)。
本当月日がたつのは早いですね~。
当時、セナは自分の死を予知していたとかレースには出たくないと言っていただとか自殺説だとか色んな噂がありましたねw
先日のあるテレビ番組では夢で人の死を予知する人がいてセナの死も予知していたってのを見ました。
結局あのウィリアムズのステアリングシャフト絡みの裁判は決着付いたんですかね~?
今夜はセナの追悼セパン?ww
自分は睡魔に勝てそうにありませんが(^^ゞ
もう14年も経ちますか。確かにかなりの衝撃でしたね。翌日仕事に向かうときも街全体が沈んでいた記憶があります。
最近、安全対策も進み死亡に至る事故も減ってきたとはいえ、もう2度とこんな悲しい事故が起こらないように万全の体制をつくってほしいです。
皆様はじめましてm(__)m
こ~いちと申します。
GT5Pネタを探していたらたどり着きました(;^_^A
あれから14年も経ってしまったんですね…
当時中学生でしたが、三宅さん、今宮さん、川井ちゃんが泣きながらセナの最後を伝えたのはよく覚えてます(T_T)
SYORIさんどうもです
14年前なんですかぁ~
5月1日なんてまだ1歳にもなってないので全然知らなかったんですが
毎年のようにF1の放送で「セナ」のことを聞いていたから
すごいドライバーだったと言うことしか知らなかったんですよ
最近youtubeで見ましたけど、突然いってしまったんですね
どこかで見たのか聞いたのか忘れましたが
レース決勝当日の時に、セナは
悪夢を見ていて走りたくなかった
というのを聞いた(見た)記憶があります
人間はどこか本能的、もしくは第6感で危険を感じるんでしょうね
思うに、セナはセナらしい(失礼ですが)死に方だったと思います
一番かっこいい退き方に感動しましたよ
セナと言う存在が、今と昔を作った気がします
こんばんは^^
14年前ですか~
僕はその当時2歳でした。
あつさんと同じく前に動画で見ました。
今でもセナは伝説ですごいですよね。
これからはあのような事故が起きないようにしてほしいです。
先日大変なクラッシュがありましたが、今のF1の安全性はすごいですね。
それとブログ作ったのでよかったら覗いて下さい^^
まだ作ったばかりですがw
リンク交換よろしいですか?お願いします。
http://tako324.blog19.fc2.com/
あの日のことを一生忘れることはないと思います・・・・・。
私はミーハーな性格がばれてしまうんですが、熱狂的セナファンでして、事故の後は、人生今後楽しみがないと思って過ごしたことを覚えています。
実際、あのあとのモータースポーツ、F1に対して興味が薄れてしまったのも事実です。
もう大学にいっても、考えるのはセナのことばかりで、何も気力がわかない状態が長かったのを覚えています。
だって、93年のドニントンとかリアルタイムで見てた人は、どう思ってます?
あれを再現できるドライバーっているんでしょうか?
92年のスパとかスリックであそこまで走らせるドライバーって、あのあといましたっけ?
セナには感動とか情熱を教えてもらったと思っています。
そして目標を達成するための努力とか。
何回も感動させてもらい、何回もテレビの前で絶叫しました。
そして、その後のドライバーにそういった感情を持つことは今までありません。
確かに美化して記憶しているかもしれないですし、大きくしすぎかもしれません。
でも自分はセナからしか、あのスケールの感動はもらってないんです。
これは事実です。
自分に子供ができて数年なりますが、子供に同じような感動を味わってもらいたい。そして涙してほしい。そういった感動にめぐり合ってほしいと願うばかりです。
長くなりましたが、SYORIさんの記事を見たら自分の気持ちを表現したくてたまらなくなりました。
ありがとうアイルトン。
セナの事故死は、大学在籍中の出来事でした。
私はモータースポーツには全く無関心だったのですが、高校の時に何気なくテレビで「鈴鹿-F1」を見た時に、セナvsプロの激しい攻防を見てしまったんです。
F1って何?セナ誰?の状況であるにも関わらず、レース直後には、手が汗でベットリ、感動の涙が出ていました。実況&解説陣の影響もあると思うのですが、その感動の理由がセナであることは明らかで、かなりの衝撃を受けました。
その後は、セナが直立している昭和Shellのポスターを飾り、勉強~クラブ活動~アルバイト等、全ての頑張りの支えになっていました。
バイト明けの早朝に、スポーツ新聞の見出しでセナの死を知った時には、愕然としました。上手く表現できませんが、「空っぽ」になった感覚を覚えています。
セナは、本当に素晴らしいドライバーですね。
皆さんの記事で色々と懐かしいシーンを思い出しました。さんきゅです。
>Yu-sukeさん
どうもです。当時恋人だったか婚約者だったかに「レースに出たくない」って言ってたみたいですが、やはり2日続けて大きなアクシデントが発生していたから、人一倍繊細な彼ですから乗る気にならなかったのかもしれませんね。
セナ裁判もウィリアムズチーム関係者が起訴されては無罪、またやり直しを繰り返してましたね・・。結局2003年くらいに再度審理やり直しになったとは聞きましたが、その後どうなったかは不明です。まあ結局結論なんて出ないでしょうし、事故の真相は永遠に闇なんでしょうねー。
昨晩はロータス99Tのアイルトン!という事で、キャメルロータスカラーで勝つ!と気合入れてましたが、予選も決勝もグダグダでした;;。
>myst_streamさん
どうもです。衝撃でしたねー。私も当時は社会人となっていましたが、まだF1ブーム終焉間近の頃でしたし、新聞でも1面記事で出てましたから社会的影響は大きかったですね。会社でもその話題で持ちきりでしたから。
近年はHANSを始め、色々な安全技術が発達してきてはいますが、それでもF1外のカテゴリでは死亡事故は無くなっていませんよね。レースの面白さと安全性の両立は大変難しい問題だと思いますが、関係者の方々には頑張ってもらいたいところです。
>こ~いちさん
どうも初めまして。GT5Pネタで来られたとの事、いきなりこんな暗い話題で申し訳無かったです;;。
あれから14年ですね・・。今宮さんが号泣しながら喋り続けていたシーン、当時を振り返って本人はジャーナリスト失格だと言っておられたようですが、あのシーンに心打たれた人は多かったと思います。最近ではネット上でも映像が見られるようになって、あのシーンを面白おかしく言う方がおられるようですが、最前線でレースを追っていた人物だからこそ、あの衝撃が抑えられなかったんでしょう。
>atsukidsさん
どうもです。1歳になってなかったとはビックリです(笑)。改めて歳取ったんだなーって思いますorz
セナはトールマン(ベネトンの前身で現ルノー)時代の豪雨モナコでももう少しで優勝だったり、ロータスルノー時代でもそうですが、非力なマシンを神懸り的な速さで操ってましたからねー。マクラーレンに移籍してから才能が一気に開花した感じですが、それまでも印象的な走りを何度もみせてました。
5/1の決勝前日は確かに走りたくないという風な事を恋人に話したそうですね。もしそれが第六感で本能的にそう思わせたとしても、本人にしたら2日続けて起こったバリチェロとラッツェンバーガーのアクシデントで走る気分になれなかった・・としか思えなかったんでしょうね。
1994年はブラジル・日本(英田)とシューマッハに負けましたが、予選はイモラも含めて3連続PPでしたからね。そして決勝でもトップを走ったままでしたから・・。
セナが亡くなった前後で本当に時代が変わったと思いますね。生涯抜かれる事が無いと思われたPP記録でさえシューマッハに抜かれましたが、5/1の時点でシューマッハはPP回数0回なんですからね・・。もしセナが生き続けていたら、本当の意味でのセナ・シューマッハ時代が長く見られたと思います。
>tako_324さん
どうもです。atsukidsさんと同じくお若いですね;;。日本ではちょうど中嶋が日本人初のフルタイムドライバーとなりホンダエンジンは常勝、フジTVで放送開始、といった色々な要素で盛り上がってきたときにマクラーレンホンダに移籍し凄いレースを見せたセナという存在がマッチして、国内では異様な盛り上がりでしたからね。F1は知らないけどセナは知ってるっていう人、めちゃくちゃ多かったですから。
ブログのほう、リンク追加しておきました。今後とも宜しくお願いいたします。
>Qchan_PSさん
どうもです。私の友人(投稿内に出てくる幼馴染)も熱狂的ファンでしたので、その落ち込みぶりはQchanさんに通じるような感じでしたね・・。
私自身は特定のドライバーを応援するというよりは、全体的なレース展開を楽しんだりという感じが強かったのですが(日本人ドライバーは強く応援してましたが)、1993年のドニントンは強烈な印象でしたね。確かセナに抜かれたザウバーのベンドリンガーかフレンツェンが、セナのペースについていこうとしてスピンしかけて、到底マネ出来ない走りだったと後にコメントしていたはずです。それくらいあのオープニングラップは神懸ってましたね・・。92年スパはシューマッハが初優勝したレースでしたねー。結果は良くなかったですが、あのレースで印象的だったのはエリックコマスの予選?でのクラッシュのときに、マシンを止めて駆け寄っていきましたよね。ああいうシーンが人間味溢れていて、見るものを挽きつけていったような気がします。
しかしセナは雨がらみのレースは本当に凄かったですね。1984年モナコもそうですし、初優勝の1985年ポルトガルもそう、1988年鈴鹿もそうですしね。生涯語られるであろうF1のセナという人物をリアルタイムで見れた事は本当に良かったと思ってます。
>Shin1972さん
どうもです。セナ・プロストの時代って結構暗黒面的に語られる事が多いですが(実際ドロドロとしてましたが)、1988年鈴鹿は初チャンピオン獲得というのもありますし、スタートでエンジンストールして追い上げて勝ったというドラマもありましたし、あれは誰が見ても感動的なシーンだったと思います。
1989年、1990年は後味の悪い鈴鹿ではありましたが、1991年はプロストの「フェラーリはトラクター並みだ」発言により解雇されてしまい(苦笑)、直接バトルは見れませんでしたが、最後にベルガーに道を譲って優勝をプレゼント(これも少々物議を呼びましたが)など色々と印象的なシーンがありましたね。
個人的に一番印象的なシーンとしては、1993年最終戦オーストラリアGPで引退レースとなったプロストと一緒に表彰台に上がって二人が関係悪化以来初めて目を向き合って手を取り合い、シャンパンファイトをしたというシーンが物凄く印象に残ってます。あの時のプロストの表情、目に浮かんでいるようにみえた涙、セナの何ともいえない表情、一つの時代が終わったんだなぁと凄く感慨深げに映像を見ていた記憶があります。思えばあのレースがセナ生涯最後の優勝だった訳ですが・・。
もう15年も経つんですね。。。リアルで事故のシーンと今宮さんの涙ぐむシーンは見ていました。
本当に惜しい人をなくしましたよね。。。
もしセナが生きていたら、今でも現役チャンプなんじゃないのか?
と思える程、そのドライビングセンスには舌を巻く凄さが彼にはあったと思います。
実はセナがマクラ-レンからウイリアムズへ写った後はHONDAファンの僕としてはF1を見ていなかったのですが、親父が血相を変えて「セナが死んだぞ!」と部屋に駆け込んで来たので、急いで起きてTVを付けた次第でした。。。
こんな事になるなら彼の走りをもっと見ておけば良かった…
そう感じた5月1日でしたね。
なんにせよ彼のいなくなったF1は最初の数年は見ごたえのない物になってしまった様に思えました。
今のF1ファンにはセナがいたからこそ今のF1があるんだという事を忘れないで欲しいですね☆
毎度です。
5月1日はいつになっても忘れられない日ですよね。
フラットボトム化、パワー規制、カーボンモノコック等によりF1は安全になったと思ってた時の出来事だったので凄く印象に残ってるレースウィークだったと記憶してます。
当時私はマンセルの大ファンでした。マンセルが引退後F1への興味が薄れましたが、セナが走ってるというだけで欠かさずF1中継を見てました。
そのセナが亡くなり、F1熱が冷めてしまったのもよく覚えてます。
セナの死後、F1で死亡事故は起きてませんが、より安全なF1を目指して欲しいと願う5月1日です。
ヨッヘンリント、ロニー・ピーターソン、ジル・ビルニューブ、ラッツェンバーガー、セナ、他ドライバーの死を無駄にしない為にも。
当時僕は小学生で、F1はビデオに録って翌日見ていたのですが、その日は朝起きたらイキナリ兄が「大変なことになった…」と。
セナといえばマルボロカラーというイメージしかなかった(ロータス時代は知らず)ので、僕もウィリアムズに移ったときには大変な違和感を感じたものでした。その通り(?)全くといっていいほどリズムに乗れていない、いいところなしのシーズンを送っていましたが、まさかこんなことになるとは…
マクラーレンでコツコツやってりゃあよかったんですよ(ノ_・。)
どうもです
94年のウィリアムズのカラーリングがとっても好きで、名前がRothmansになりました。
当時はシューマッハのファンでしたが・・・w
セナが亡くなった時は、当時顎ヲタな俺もかなりの衝撃でした。なにより2人が激しく争う姿がもっと見たかったですから。
>ZEAL-Rさん
どうもです。テレビで三宅さんの口から「お伝えしにくい事を言わなければいけません」って言った時は「聞きたくない・・」って思いました。
セナが生きていたら48歳ですよね。勿論引退している年齢でしょうが、「もし」を語らせてもらうなら、ウィリアムズで2年ほどを過ごした後、間違いなくフェラーリ移籍したはずですから(キャリア終盤はフェラーリで、という発言もありましたし)、そうなったらシューマッハの人生も大きく違ったものになっていたでしょうね・・。そういう意味でも2000年モンツァでセナの勝利記録に並んだシューマッハが国際映像で号泣したシーンに、本当に色々な思いがあるんだろうなって感じました・・。
>HIJIRIさん
どうもです。近代F1で安全性に一番大きな影響を与えたのが、炎上しにくくなったことと仰るようにカーボンモノコックでしょうね。ロニー・ピーターソンやエリオ・デ・アンジェリスのように事故が直接の死因じゃないという不幸な件もありますが、少なくともアルミハニカムのモノコックからカーボンに変わったことで生き延びているドライバーは物凄く多いんじゃないでしょうか。
今はHANSもありますし、タイヤが飛んでいかないよう(タイヤが飛んでいって死亡したマーシャルがおられますので)ワイヤで固定されたりと安全性は高まってますよね。セナの事故はステアリングシャフト破損による操縦不能でタンブレロ外壁に激突した際、右フロントのサスペンションロッドの破片が頭部を直撃したのが致命傷だったと言われてますが、それら装備があったならもしかしたら・・と思わざるをえないです。逆に言えば、HIJIRIさんが仰るようにドライバーの命を無駄にせず、しっかり安全技術を高めていったお陰で、昨年クビサの命が助かったともいえますね。
>りょさん
どうもです。セナと言えばマルボロカラーのイメージが強烈ですよね。ロータス時代はJPS→CAMELと黒から黄色に変わって、マクラーレンで赤でしたからマクラーレン移籍当初は少しだけ違和感がありましたけど、今ではやはり赤のイメージが強いですよね。ロスマンズカラーになった時は流石に違和感はありました。流石に6年間マルボロスーツを着ていた訳ですからね・・。1994年はブラジル・パシフィック(TI英田)とリタイア続きでシューマッハが2連勝で向かえた状況でしたから、見ていた私としても、何か時代が変わろうとしているような感覚を持ってました。追いかける立場だったセナ・プロスト時代から、追われる立場のセナ・シューマッハ時代の到来とでもいいましょうか。そんな矢先でしたよね・・。
マクラーレンに残っていれば・・とのことですが、つい最近「F1通信」さんのサイトで、面白い記事がありました。こういうのもやっぱり運命なんだなぁと読んでいてつくづく思います。
アイルトン・セナの夢 実現しなかったマクラーレン-ランボルギーニ
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51279160.html
>Rothmansさん
どうもです。やはりそこからの命名でしたかー。IRCで喋っているときも、Rothmansさんと飛行さんはかなり詳しいですからね。私はRothmansカラーと言えば、2輪WGP500CCクラスのホンダNSR500を思い出してしまいます(要するにオッサンってことですが・・)。RothmansカラーのNSR500といえばガードナーみたいな感じです。
しかし当時はマンセルがアメリカに行ってしまい、プロストが戻ってきてチャンプ取って引退と、役者が少しづつ居なくなっていく時代でしたよね。そういう中で頭角を現してきたシューマッハとセナの新世代バトルが見たかったと思っていた方は本当に多かったんじゃないでしょうか。
1992年のF1鈴鹿GPを観戦に行きました。
ダンロップコーナーの所で見ていました。
フォーメーションラップの時にセナが観客席に向かって手を振った光景が今でも忘れられません。
>jori2006さん
どうもです。1992年の鈴鹿ですかー。確かセナが2周くらいでリタイアしたレースでしたよね。というか、確かダンロップでリタイアしませんでしたか?。あのシーンを生で目撃されていたわけですね。ホンダ最後の鈴鹿でしたっけ・・。
どうもですー。
> マクラーレン-ランボルギーニ
全然知りませんでした(汗
ちょうどその頃が馬力~トータルバランスへの転換期だったと思いますので、少し時代と逆行するような話なのかもしれませんが、しかしセナならばどんな暴れ馬だろうと超人的な感覚・テクニックで手なずけたことでしょうね。
見てみたかったです…
>りょさん
どうもです。私もこの話は最近まで全然知らなかったですね。1993年終了時でアクティブサス始め、かなりのハイテク装備が禁止となり、エンジンもルノーV10レイアウトが圧巻していましたので、仰る通りV12のパワーよりもV10にすることでコンパクトにし、シャシーとのトータルパッケージを重視しだした時代に突入していった頃だと思います。なのでもし1994年にもしマクラーレン・ランボルギーニV12というパッケージで登場していたら、当時から見ても相当異端児なマシンだったかもしれませんよね。それでもセナとのパッケージは見るものを更に惹きつけたかもしれません。
1994年のマクラーレン・プジョーは悲惨でしたからね・・。特にシルバーストンでスタートと同時にマーティン・ブランドルのマシンがジェット機のように火を噴いたシーンが今も思い出されます。