嗚呼、無駄使い・・。
最近「・・・」ばかりつくタイトルですが(笑)、表題の通りメモリーやら色々買ってしまいました。ここ最近のメモリー値下がりに我慢できなくなり、DDR2 PC6400 1GB×2 を対応マザーも持っていないのに購入してしまいました(笑)。これが送料入れても計9000円しないんですから、便利な世の中になってしまったものです。今使ってるメモリーなんて512MBで1万数千円で買ってますから(しかもPC2台分で計4枚も)・・。
メモリー買ってしまったので、雪崩のようにPCパーツを買わなければいけなくなり、LGA775対応マザー、Core2Duo E4300、SATA HDD(320GB)、ケース等々、アホみたいに購入せざるをえなくなり・・(笑)。自作し始めて8年くらいになるのですが、C2Dの魅力には勝てず、初のIntelにしてしまいました。浮気してごめんなさいAMDさん・・。
まあ今の環境で4年近く使っていたので丁度良いタイミングかなとは思うのですが、これでVistaが快適動作すればいいなと思っています。Vista未対応のビデオキャプチャは、サブ機のXPマシンに任せることにします。
しかし先ほども言いましたが、本当にPCって高性能かつ低価格になってきましたよね。
私が始めてPCに触れたのは小学校6年くらいだったかと記憶していますが、親父が買ったSHARPのMZ-1200というコンピューターでした(知ってる人いるかな(笑))。記憶メディアは勿論カセットテープで、メインメモリ32KB(MBじゃないですよ)、CPUクロックが2MHz(GHzじゃないですよ)、BASICをロードするのに数分待って実行させるといった今では考えられないシロモノです(笑)。。ちなみに1MB(1GBじゃないですよ)のHDDが別売りで40万くらいしていた時代です(笑)。
BASIC使ってゲームとか色々作って楽しい時代でした。それをコンパイラ使ってマシン語に変換して実行速度が恐ろしく速くなってしまい、ゲーム出来なくなってしまったりとか(笑)。そんなことして遊んでました。
その後、高校入る前くらいに貯めていたお金でSHARPのX1Turboを初めて自分で買い、この頃からようやく5.25インチのFDDが装備され、読み込み速度のあまりの速さに驚いた記憶があります。この頃はゲームソフトのレンタル屋が普通に存在していて、それをバックアップするためのユーティリティが普通にレンタルできたり買ったりする事が出来たりと、今では考えられないような時代でした(笑)。カセットテープ時代は必殺ダブルデッキでダビングです(笑)。
この頃から現在までPCにずっと携わっていたら、今ではもしかしたらスーパープログラマーになっていたのかもしれませんが(笑)、その後音楽に目覚めてからはパソコンというものに全く興味がなくなってしまい、再開を果たしたのは仕事で使うようになったWin95が出てからでした。
この時ははっきりいって「浦島太郎」状態でした(笑)。電源の切り方すら分かりませんでしたよ;;。BASICも無ければ、電源入れれば凄い画面が出てくるし(デスクトップですが)、アイコンをクリックしてプログラムを起動すると言う事は分かりましたが、そもそもマウスなんて使った事がなかったので、それにも一苦労でした・・。ただそれと同時に、昔は「PCを扱っている」という感覚がありましたが、今は「PCに使われている」といった感覚なので、昔みたいなトキメキやワクワク感というものは何だか失われたような気がしますね・・。私が素人なだけなのかもしれませんが(笑)。
結局未だにイマイチよく分からないまま使っている状況なので(笑)、ずっと成長しないんだと思います。現在PCでプログラムとかをされている方はホント尊敬しているくらいです。会社の部下には、昔それだけBASICとか覚えていたんだったら、VBとか直ぐ使えるようになりますよ、って言うんですが、既にBASIC自体記憶にも残ってませんし(笑)。ただ、現在はそれが出来なかったとしても、フリーウェアやシェアウェア等で探せば望みのアプリケーションがほぼ何でも揃ってしまうという状況が、覚えなければ・・という気にさせてくれない要因かもしれませんね;;。まあ簡単にいえばラクしているのかもしれませんが・・。仕事でされている方はホント凄いです。
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なんか凄いマニアックな内容になってしまいました。妙に懐かしくて色々書き綴ると長くなってしまいましたね(笑)。
なんやかんや言いながらも、自作で楽しんでいる私ではありますが(笑)、また暫くOSインストやら再構築やらで忙しい夜になりそうです。でもパーツが届くまで時間があるので、今晩からはGTHDとGT4で筑波(myst_streamさんとこのTA)でも走ってみようと思ってます(笑)。
確かに最近メモリが安くなりましたね。そろそろVistaマシンが欲しくなりました。私もPC4台作りましたが、次はショップブランドのPCを買おうと思います。昔はPCでゲームをやりたくて高価なビデオカードやサウンドカードとか付けて喜んでましたが、最近インターネットくらいしか使いませんからショップブランドで充分です。
自作PCにはまると相性が悪くて買い直したりでパーツがどんどんたまっていきますよね。もう2~3台作れそうです(笑)。今のメインPCはCPU,メモリはたいした事ないですが、HDDは総容量は2TBを超えてます(笑)。
正月にマザーが壊れたときにSocket478のマザーを買いにいったら、LGA775一色で5店目でようやく買えました。世間はCore2なんですね。
SYORIさんもかなりのPC遍歴をお持ちのようですが、今の若い子はカセットテープが記憶メディアだったってこと知らないでしょうね(笑)。しつこくMBじゃない、GHzじゃないってところが笑えました。
筑波TAも参加して頂けるとのことで、筑波マイスターの実力をとくと拝見させて頂きます(笑)。
今メモリ安いもんね(笑)
現在PC版のTEST DRIVE UNLIMITEDを楽しんでるんですが
NorthwoodのPentium4の3.2Gに無理やりRADEON X1950 PROをぶち込んでとりあえず応急処置的なPC環境でやってますので
私もメモリからパーツそろえて行こうかなと丁度考えていましたねぇ~
どうもです。
メモリー、マザー、CPU、HDD、ケース。気のせいか、私には新しいマシンが1台見えるのですが・・。
私がプログラミングを始めたのは高1からですが、HDDの無いマシンでたかだか数百行のCプログラムのコンパイルに1時間とかかかっていました。コンパイル開始してご飯を食べに、今では考えられませんね。
その頃親戚からもらったFM7というパソコンには、5.25インチFDとカセットドライブ(というのかどうか知りませんが)が付いていました。どうやら私もそんなに若くないようです。
こういう話題になると、つい口を出してしまいます。
昔、大学に入った頃でしたが、富士通のパソコンFM7を買いました。
シャープのMZシリーズのように「クリーンコンピュータ」ではないので、さすがに使うたびにBASICをカセットテープからロードするということはありませんでしたが、作ったプログラムやデータの保存はテープに「ピー、ガガガガー」でした。しばらくすると、EPSONからTF-20というフロッピーディスクドライブ装置が出たので買いました。
2D(640KB)のドライブが2つついてだけでしたが、5万以上したと思います。でもそれで感動的に便利になりました。メインメモリ(RAM)は基本的には32KBで、BASICのROMも32KB、ROMと同じアドレスに裏RAMが32KBあるという構成でした。OS兼プログラム言語であるBASICのROMが32KBなので、全部逆アセンブルして印刷してもバインダ1冊に入る程度でした。ある意味いい時代でしたね。ちなみにその頃の大型汎用機は、今で言えばケータイ程度の演算能力しかなかったそうです。技術の進歩は驚異的ですね。
じぶんはカシオのポケコン(・・・PB-800って型だったかな!?)が初めてのコンピューターでしたw
(敢えてPCとは呼びません^^)
その後、PC-9801M2って16ビットパソコンを買いました☆
純正品は高価なため、エプソンの14インチのモニターしか買えず、悲しい気分でした^^;
それでも総額60万ぐらいの買い物だったと思いますw
5インチのフロッピーディスク(MEMOREXブランド)20枚入りが8000円ぐらいだった時代です☆
いま思えば無謀な買い物だったと思いますが^^
この道に進んだキッカケであることは間違いなく、今のところ『無駄遣い』では無かったと言えるでしょうか♪
「今のところ」は・・・ですけどネw
(*^-^)b
このような懐かしい話をされては書き込まずにはいられません(笑)
私が初めて買ったのは中学のときでPC6001です。マシン語を
勉強したり、結構真面目に使っていましたよ。でも真面目だったのは
このころだけで、大学時代はPC9801VXを所有していましたが、
完全にゲーマーと化していました(笑)
ゲームソフトのレンタル屋、通いましたよ。コピープロテクトの
解除ツールもいろいろありましたね。Wizardとか。
ゲームソフト別のパラメータ集(ファイラー)もずいぶんと集めました。
ほんと、トンでもない時代でしたね(自分で言うのもなんですが・・)
おはようございます。
私も自作PC7年ほどやってますので我慢できない気持ちよくわかります(笑)。C2Dは去年速攻で買って作ってしまいました。
ちなみに昔MSXと安物ワープロでデータ保存にカセットテープ使ってました。必殺ダブルデッキでダビングもした事あります。なんだか懐かしいです(笑)。
Scepterです。
私もSYORIさんやgramanさんと同世代ですので。。。
私の場合は小学生時代に自宅にあったPC-8801がPCとの最初の出会いでした。BASICやマシン語を勉強して自作ゲーム等良く作ってましたね。
勿論記録媒体はカセットがメインでした。(笑)その後8インチのFDを使って記録したり。。。(笑)
ゲームも良くやってましたのでレンタルショップにも行ってましたよ。
ソフマップが昔アキバの小さなレンタルショップだったのを知ってる人も少ないんじゃないでしょうか。(^^;;
myst_streamさん
どうもです。これだけメモリが安くなると買わずにはいられなくなりました。これもMSの思惑通りなのかもしれませんね(笑)。でもここまで高性能化・低価格が進むと、自作のメリットが薄れてきているのも事実ですよね・・。私も同じようにハイスペックPCで組み上げたら、まずはベンチマークで数値を上げることに必死でしたから(笑)。
私の自宅にもパーツが溜まってますね;;。何が何だか分からなくなってきています。以前はヤフオクに出したりして処分したりはしていましたが、今ではメンドクサイのでほったらかしです。しかし2TBって凄いですね(笑)。現仕様(80GB+60GB+60GB)の私の10倍です(笑)。
カセットテープってもう長い事目にした事もありませんが、昔はあれが唯一の外部保存メディアでしたからね。ノーマル・ハイポジ・メタルではどれが良いのか、色々検証したりしてました(笑)。ただ、デッキの再生速度が微妙に変わって読み込み出来なくなるのが悲しかったです(笑)。
>GRIGIOさん
どうもです。メモリほんと安いですよね。どこまで下がるのか様子を見ていましたが、もうこれ以上下がっても微々たるものだろうと思い、入れ替え決断してしまいました。
今まではAthlonXP2500+@3200+で使用していましたが、流石に力不足を感じてきていましたので丁度良い機会です。E4300で2.6GHz辺りの常用(あわよくば3.0GHz)で使えれば良いかなって思っています。多分定格でもビックリするくらい快適になるかとは思いますが、昔からノーマルで使う事が出来ない性分なんですよね(笑)。
>keyさん
どうもです。多分気のせいではないと思います(笑)。メモリがDDR2になったお陰で全ての機器が変更になってしまいますからね・・。使いまわせるものはHDDと光学ドライブくらいじゃないでしょうか。
当時の小学生時代の友人でよくプログラムを作ってた人がいるのですが、その頃遊びにいってたら何かゲームを作っていて、コンパイル開始してからお母さんが出してくれた昼ごはんを一緒に食べて待っていた、といった記憶がありますのでまさにそれですよね(笑)。
FM-7懐かしいですね(笑)。カセットとFDDが同時搭載だったという事は、丁度記憶メディアの移行期だったんでしょうね。私が持っていたX1turboもFDD搭載モデルとカセット搭載モデルが別々に出ていましたから。
>GTHDCさん
どうもです。クリーンコンピュータってむちゃくちゃ懐かしい響きですね(笑)。PC-8801や9801、X1などは確かにROM BASICだったはずなので、電源を入れたらBASICが直ぐ立ち上がってましたよね。それだけでも個人的には感動でした。カセットメディアのバックアップ時に、仰るような「ピーーーーーガガガガガガガガ」という音でしたので、パソコンを知らない友人からは「宇宙人と交信でもしてるんか?」って言われた事があります(笑)。
フロッピーもそういえば2Dとか2DD、最後に2HDでしたね。よく大阪日本橋に無印フロッピーディスクを沢山買いにいってました(笑)。私の場合X1turboがカセットデッキ搭載モデルだったので、後からFDDを増設したのですが、ドライブだけ日本橋のジャンク屋で買ってきて、インターフェイスからドライブに接続するケーブルは親父に自作で作ってもらってました(笑)。最初は8インチ(!)のドライブだったのですが、感動でした。カチカチうるさかったですが(笑)。ノートのようなデカさのメディアに、何だか近未来の秘密情報員になったような気分でしたね(笑)。
>こじぃさん
どうもです。ウチにもありましたよ!カシオのポケコン。親父所有でしたが(ウチの親父もかなりマニアック)、確かPB-120ってやつだったと思います。1行表示の画面に、雑誌に掲載されていたゲームソフトのプログラムを必死で打ち込んでいた記憶があります(笑)。
PC-9801シリーズは所有はしていませんでしたが、高校時代に通っていた塾の先生がもっていて(確かPC-9801VM2だったかな?)、あの頃はホビー用が8801、ビジネス用が9801っていう住み分けだったと思うので、オフィスコンピューター(オフコン)って言ってたような気がします。それでも塾終了後にゲームばかりやって、「やっぱり98はすげえ!」って喜んでいましたが(笑)。
こじぃさんも「その道」に進まれているみたいですが、そう思うと当時の凄い出費も意味があったと思えますよね。私がもし音楽の世界に出会っていなかったら、多分その道に進んでいたと思いますし。とはいっても、今は音楽とは無縁の、どちらかといえばPC寄りの仕事ではありますが(笑)。
>gramanさん
どうもです。いや、しかし皆さん私とよく似た時代を過ごされているんですねー。これだけ書き込みが多いとは予想しませんでした(笑)。
PC-6001って懐かしいですねー。パピコンっていう愛称じゃなかったでしたっけ?(笑)。オレンジ色のキーボードが印象的で、私の知り合いも所有していた者が居ましたよ。それでゼビウスが発売された時は狂喜乱舞していましたから(笑)。
9801も初期はビジネス用といった雰囲気漂うPCでしたが、何時の間にかゲーム機みたいになっていきましたよね(笑)。私も先ほど書いたのですが、塾の先生所有の98でゲームやりまくってましたから(笑)。あの頃のゲームといえば、ザナドゥとかレリクスとかハイドライドとかRPG系が多かったですよね。ハマったのは「無限の心臓」っていうRPGです(笑)。方眼紙にダンジョンマップを精細に書いていって、自己満足していました(笑)。
ゲームレンタル屋、ホント通いましたよね。カセット時代も最初はダビングで問題無かったのですが、だんだんプロテクト化されていって、PC本体でカセットのバックアップを取るツールとかもありました。そりゃもう高価なテープを使いましたよ(笑)。
>TOSHIROさん
どうもです。自作PC暦は結構私と近いくらいですよねー。私が最初に買ったWin機はNECのデスクトップ機だったのですが、Socket7のMMXPentium200だったので、後からK6-2とかK6-IIIとか下駄履かせて載せ変えたりして、最終的に原発乗っ取りでFSBを上げて450MHzまで上げて楽しんでました。保証もヘッタクレもありませんね(笑)。
それからSlotAのAthlonで初自作し、今までずっとAMD一辺倒だったのですが遂にIntelへ戻ってきてしまいました(笑)。C2Dはずっと気になっていたのですが、メモリ購入と同時に我慢していたものが崩壊しましたね(笑)。Athlon64X2も恐ろしい低価格になっているので、悩みましたが・・。
ダブルデッキは誰もが通った道だと思います(笑)。録音レベルとか必死で合わせてコピー出来たときは大喜びでした。今から思うと、とんでもない時代の話ですね;;。
>Scepterさん
どうもです。やはり同じような道を辿っておられましたか(笑)。
PC-8801シリーズはmkIIとか含めると物凄い量が出ていましたよね。あの頃シャープ派だった私は、88シリーズばかり良質のゲームが出ていたことにかなりジェラシーでした(笑)。漢字ROMが入っているのはX1turboだけ、といった時代があったのでヘンな優越感がありましたが、シェアはNECが圧倒的でしたからね。8インチFD使っておられましたか(笑)。あれは物凄いシロモノですよね(笑)。FDはつい最近までOSインスト時に必須でしたが、そろそろ時代の幕を閉じようとしている感が強いので感慨深いです・・。会社PCもFD付いていませんし。
レンタルショップは近場に結構ありましたがソフマップはあったかどうか覚えていないです。あったような無かったような。京都なので寺町通りという所がPC関連の情報源だったのですが、そこにも何軒かレンタル屋が存在していて、しょっちゅう自転車で通ってましたよ(笑)。
多少、世代が違う感じもありますが、みんな、似たようなことをやってきてる訳ですね。
私がFM7を買ったとき、PC9801が出て間もないタイミングだったのですが、98はとても高くて手が出せないレベルのマシンでした。FM7は、8ビット機の中ではけっこう速かったのですが、ソフト資産とユーザの多さなどから、やはり主流はPC-8801でしたね。それで、父(離れて住んでいた)に意見を聞かれたときは、迷わず88を買わせました(笑)。
その頃の「あるある」をもう一つ言うと、I/OとかASCIIとかThe BASICといった雑誌に印刷されてくるプログラムリストやマシン語の16進ダンプを、ひとつも間違えないように、必死で手入力してませんでした? こんなこと言っても、イマドキの人には信じられないかも知れませんが、当時はCD-ROMもインターネットも無かったので、出版社が雑誌を通じてプログラムを配布するには、あまり方法が無かったのです。
それから、皆さん書かれていましたが、5インチFDが普及した頃(80年代中頃)、ゲームソフトをレンタルしコピーして遊ぶのが普通に流行っていましたよね。コピーツール自体も堂々と売られていたわけですから。またコピーツールを使わないで、ブートセクタからプログラムの流れを追ってコピープロテクトのチェックをしている箇所を探し、そこの条件分岐のコードを書き換える、なんて方法もありましたね。下手なアドベンチャーゲームよりも謎解きの面白さが楽しめました。
あと、話は違いますが、SYORIさんの買い物リストの中にグラボが無かったのが、ちょっと気になりました。手持ちのボードでいかれるのか、チップセット内蔵でいかれるのか、など。私の場合、PCで3D系のゲームはしないからG965内蔵でいいや、という選択をしたくちなのですが、いざVISTAを入れたらウィンドウズメディアプレイヤーでmpegの再生ができず、かなりあせりました。結局VGAドライバを最新にしたら直りましたが、その後、GeForce8600シリーズが出た時点で、我慢しきれなくなり、結局、8600GTSを買ってしまいました。嗚呼、無駄使い、ってことですね(笑)
GTHDCさんのコメントに呼応してw
ASCIIやBASICも定番でしたが、じぶんはOh!PCやOh!98がバイブルでした^^;
もちろんソースコード打ち込みましたよ☆
フレームデザインが当たり前でしたが、ある時3Dレンダリングのソースコードが掲載されて・・・何日もかけてパンチしました♪
その間、電源は入りっぱなしでw
いざ入力が完了して“run”・・・
応答なし(汗
「まぁ3Dレンダリングなんだし、明日まで待つか」で明日に・・・何も表示されてない(滝汗
あら!?ってカンジで[STOP]キーを押してはみたものの、反応なし(ナイアガラ級の汗
えぇぇッ(@@;
えぇぇッ(@@;
えぇぇぇぇぇッ(@@;
98死んでましたorz
もちろんセーブもできず・・・しばらくPC不信に陥ったのは言うまでもありません
Y(>_
>GTHDCさん
そうですねー皆さんのお話を聞いてて昔を思い出してます(笑)。
PC-88シリーズはソフト資産とユーザーが仰るとおり圧倒的といった感じでしたよね。友人の家に行ってよくゲームしてましたから。結局ウチにはPC-8801mkII→8801mkIIFRといった流れで導入されていきました(親父所有ですが)。
プログラム入力よくやりましたよー。I/Oもそうですし、マイコンBASICマガジンとか、Oh!MZやOh!Xあたりは愛読してました。MZ-1200時代に、何かの雑誌で「STAR WARS」っていうゲームがあったんですよ。内容はデススターの溝の中を飛んで、爆弾を穴に落とすだけといった単純なものでしたが、マシン語で20ページ近くに及ぶ超大作(笑)。数日かけて必死で入力しましたよ。あの頃から鉄(アルミ?)製の定規が必需品となりました(笑)。入力し終わって実行させる前のワクワク感はたまらないものがありましたねー。まあ一発で動く事はまれで、概ね暴走(今でいうフリーズかな)してましたが(笑)。
プロテクト外しはもっぱらツール使用でしたね。何かこんな事を書いているとアンダーグラウンドな世界と思われるかもしれませんが、あの当時は普通にツールが店舗で売ってましたからね(笑)。幼心に罪の意識はありませんでした・・。今ではとんでもない事ですが(笑)。
私の買い物リストでVGAカードが無いのは、現行のカードを使いまわす為ですね。もうPCでゲームをする事もそれほどありませんし、現状でRADEON9800PROが付いているので買い換えるまでもないかと思いました。ただAGPカードなのでマザーの選択肢は限られてきます(笑)。なので巷では「変態マザー」と言われる4CoreDual-VSTAを買いました。DDR1/DDR2が使えてAGP/PCI-Eも使えるので(笑)使いまわしには最適マザーでした。昨晩OSの素インストまでやりましたがいい感じで動作しています。G965で最近知り合いのを1台組みましたが、オンボードVGAでも十分すぎる性能ですよね。性能向上の度合いにはびっくりします・・。
まあDX10対応のゲームでどうしてもやりたいものが出てきたら、多分VGAカードも買ってしまうんだとおもいます(今回も8600GTを買おうかどうか、かなり悩みましたので(笑))。
>こじぃさん
それ私も経験ありますよー。
とはいってもそれほど膨大ではないプログラムですが、入力し終わった後にちゃんとカセットでバックアップを取ればいいのに、早く動かしたい一心で実行させた瞬間暴走(笑)。
泣きたくなる気持ちってこの事を言うんでしょうね・・。
またプログラムの1行目に定規をあてて入力しだす、幼き日の私がいました(笑)。
こじぃさん、SYORIさん、私も一所懸命打ち込んだのが消えてパーになってしまったことありますよー。脱力感と悲しい気持ちでいっぱいになりますよね。
あの頃のPCはOSもなくベタっと動いていたので、SAVEしなくてもRUNとかEXECとかすると走り出すし、いったん走らせてみてBREAK(STOP)キーで止まらなかったら救いようが無かったですからね。
それと、私の場合も例に漏れず、Oh!FM読んでました(笑)
SYORIさんの買い物リストを理解するポイントは、マザーボードにあった訳ですね。
PCIもAGPもPCI-Eも挿せるし、DDRでもDDR2でも何でもかかって来いやっ、てマザーなんですね。
それはそうと、PS3のシステムの新バージョン1.80が出ましたね。SDのゲーム/DVDをHDにアップコンバート出力したり、DLNAクライアントになれたり、かなり機能が追加されているようです。
おはようございます。
SYORIさんそのマザーでしたか。私も去年VGA&メモリー使いまわすため前作775Dual-VSTAで作りました。しかしVGAを8800GTSにしたらドライバがインストールできず動作しなかったのでP965 Platinum&DDR2メモリー買って卒業となりました。このマザーVGA&メモリー両対応が良い所ですが対応VGAが限られているのがちょっと残念な所でした。VGA対応表に載ってないのに多分動くだろうと思って最新VGAに特攻したのが悪いんですけどね(笑)。
なんと、TOSHIROさん775Dual-VSTA使ってましたか。
私も775Dual-VSTA(現役)です。VGAは対応表にある
GIGABYTE GV-NX76G256D-RHです。
たまに起動失敗することがありますが騙し騙し使ってます(汗)。
皆さん同様、私も打ち込みましたよ(パピコン時代のことですが)。
Pio(だったかな)というPC誌にソノシートが付属するように
なったのはうれしかったですね。
(ソノシートってのはペラペラのシングルレコード盤のことです)
P.S.
Forza2買っちゃいました。車体挙動のリアルさ、いう点では
GTHDを超えてるかもしれません。graman58で参戦してます。
>GTHDCさん
やはりパーになった事がありますよね(笑)。BREAKキー懐かしいです。SHIFT+BREAKを連打した事数え切れず;;。
マザーはまさに何でもござれという内容ですが、OC耐性もそれほど高くないので、2.6GHz動作は確認しましたが現在は2.4GHzで運用しております。本来なら3.0GHz動作も可能な石なんですけどね・・。まあ定格でも十分すぎるくらい体感で早くなったんですが、クルマやバイクでも何でもそうなんですが、どうしてもノーマルで使う事が昔から出来ない性格でして(笑)。
PS3のシステムバージョンありましたねー。後から記事にしようと思ってましたがかなりPS2ソフトが綺麗になってビックリしました。DVD再生はまだ確認していませんが・・。
>TOSHIROさん
どうもです。775Dual-VSTAとはクアッドコア対応以外は内容が同じだと思いますので、今後何かありましたらご指導お願いいたします(笑)。
本来私もVGAをPCI-E導入すれば変態マザーを買う必要もなかったのですが(笑)、とりあえずは今のところ旧々世代のVGAでも十分かな、と思いましてそのままいっちゃいました。8800GTSとはかなりのハイエンドですよね。私も9800Proを買ったときはハイエンドだったのですが、今では・・・ですね;;。
ただ今のところ問題発生していまして;;、RADEON9800Proが悪いのか分かりませんが、画面にブロックノイズが出たりするんですよね。大丈夫な時は問題ないのですが・・。AGPの差込口の接触が悪いのかと思い、接点復活剤をかけたりしても治らず。流石一筋縄でいかないマザーです(笑)。
>gramanさん
やはり皆さん一生懸命打ち込んでいた派なんですね(笑)。私は当時BASICで作ったゲームを、BASICマガジンに掲載されるのが夢で一生懸命くだらないゲームを作りましたが、一度も掲載される事はなかったです;;。
PIOって懐かしいですねー。たしかI/Oの別冊だったかプログラムばかり掲載されていた雑誌だったかと思います。面白そうなゲームが掲載されていたらよく買ってましたよ(笑)。ソノシートが付属していたというのは知らなかったです。私の買っていた時代よりもう少し後なのかもしれませんね。それがあればレコードからカセットに録音して読ませる、といった方法だったんでしょうか。レコード特有のプチプチノイズとかでちゃんと読めたんでしょうか?(笑)。しかし良い時代でしたね。
Forza2買われましたか!画面はGTHDが上とは聞きますが、挙動面ではかなり優秀みたいですねー。一度プレイして体感してみたいところです。