レース(もどき)活動

今日は私がモータースポーツに実際に関わっていく話を・・・。

私はF1のコーナーでも話したとおり、幼少からレースというものに興味があり、ルマンやインディ500など僅かに放映されるレース映像に釘付けになっていた。そして高校生時代にF1が全戦放送(87年、中嶋悟の全戦参戦から)されるようになり、私のレース熱というのはどんどん高まっていったように思う。

その頃、唯一エンジン付き乗り物といえば、原チャリ(50ccスクーター)であり親に内緒で免許を取りに行き友達のバイクを借りては乗り回していた(今から思えば任意保険も無いのに恐ろしい思いだが)。2年生か3年生くらいには親にも公認になり、知り合いから1万円でスクーターを譲ってもらい(ヤマハのチャンプ)それをキャメルカラーに全塗装したり、吸排気系をいじったり無段変速機(プーリー)を加工したりとそれは楽しい思い出である。そして中型免許を取得して高校卒業後の肉体労働アルバイトでCBR250Rを買い、ついにレーサーレプリカ車に乗るようになる。私の周りの人間は峠を攻める者が何人かいたのだが、私にはとても出来ないシロモノだったので(バイクで走る怖さというよりは死の危険性に)おもにギャラリー専門であった(笑)。

そして大学入学後にバイトをすることになる。何件か候補を決めたあと入社したのがバイク用品販売店であった。ある意味ここにバイトにいくようになって私のレース熱?も更にヒートアップしていくのであった。

この当時はミニバイクレース全盛の頃で、世界GPに飛び出していった有名なライダー達もこの頃には相当走っていた。やはりそういった人物はその頃から「とてつもなく速い」のである。ちょっと速いなーというレベルではないのである。私の周りにも速い人間はいたのだが、やはり登りつめていく人材というのは相当レベルが高いのだなと思った。実は私の知り合いに世界GP125ccクラスに参戦したGPライダーがいるのだが、その人もやはりミニバイクレースでの速さといったら尋常ではなかった。あきらかに次元が違うのである。
そんな中私もミニバイクレースに精を出しバイクを整備してはサーキットに向かうといった日(といっても月1くらいだが)を過ごしていたが、あくまで趣味的なものとして走っていたような感じである。なぜならあまりにもレベルの差を感じてしまったからである。しかしサーキットでハングオンしながらタイムを削り少しでも速く走るという部分にはとても面白味を感じていた。

そうこうしているときにバイト周りの人間がオフロードにハマりだした。モトクロスバイクで林道にツーリングに行くということをしていたのだが、結構面白そうだったのでボロボロの中古XLR250を5万円で購入した。しかし私の場合おとなしくツーリングに行くというよりはそれでダートを思いっきり攻めてみたくなっていた。実際回りの友人もそのようなことをやりだしていたからだ。負けず嫌いの性分か、早速私もやってみることにした。
しかし、ダートを走るという経験がないからか、お遊びレースで屈辱の周回遅れとなってしまい、これが私の闘志に火をつけた(笑)。毎朝仕事に行く前に家から20分ほどの河川敷に出来た仮設コースに練習に行き速さを身につけていった。そうこうして再度以前のメンバーとお遊びレースを行った際、同じレベル以上まで成長していたのだった。こうなれば私も調子に乗るタイプなので(笑)どんどん練習を重ね、ついにはバイクそのものが悲鳴を上げ始めてきたので、念願の2スト車であるCRM250Rを購入するのである。
始めは4スト車のエンジンブレーキに慣れていたので、コーナーへの突っ込みが完全にブレーキ依存される2スト車は慣れが必要であったが、それさえ克服すれば加速感や車体の軽さからガンガン走れるようになり、そのグループ内で昔からバイクに慣れ親しんでいた一番速かった人物(以下友人K)まで肩を並べられるようになった。

こうなるとお遊びの草レースだけでは物足りなくなり、耐久レースなどに積極的にエントリーしていくようになる。一番最初に参加した耐久レースは兵庫県の山中で行われた4時間耐久であった。その友人Kと私とでペアを組み完走したのだが結果は付いてこなかったがとても楽しかった。しかしレースに出るのであればやはり結果が欲しいところ。その後表彰台に上がれるくらいまで結果を出すことが出来たり、大阪での1時間耐久(これはソロでの出場)ではかなり乗れておりその友人Kにどんどん追いついていき、最後にはオーバーテイクまで決めれたのだが転倒して(汗)、順位は5位あたりだったと記憶しているが確実に速さをつけていった。
※一応補足であるが、私のいう「速さ」とはある意味内輪での視野から見た内容であり、全日本クラスなどの速さとは次元が違うということを付け加えておく(笑)。

その頃スズキのあるバイクショップのエンデューロチームに所属しており、そのチーム内でも将来を有望されていたようだった。ある日チームでコース練習に行った際、回りの人間が飛べない2連ジャンプなども私一人だけ飛べたりと非常に乗れていた。その時ウォッシュボード(でこぼこが続く道)でバランスを崩し転倒してしまったのだが、運悪くバイクのステップ(滑り止めの為のこぎりのようにギザギザ加工されている)が私の足のアキレス腱付近をザックリとえぐってしまった。足の骨が折れたな!と思ったのだが足首も動くし以前に骨折した際の痛みではなかったので打撲だろうと思い、しかし一人で歩くのも困難だったので、肩を貸してもらいピットまで戻りブーツを脱いだところ中からバケツをひっくり返したように血が流れ落ちてきた・・。足を見ると明らかにアキレス腱付近を激しく切っており、そこから歩くたびに血が吹き出るといった状況だった。今これを書いていても鳥肌が立つのだが(笑)、その時は以外と冷静であった。周りの人間は気持ち悪がっていたが;;。

病院での診断結果はアキレス腱は切れていなかったが、もう見えてるくらいの傷だったようだ。そして縫合されギブスで固定され暫くクルマも乗れない状況だった。会社もその頃は営業職になっていたため通勤も営業も出来ず2週間以上は会社を休むハメとなった。こんなことで会社に迷惑を掛けるのはいけないと思い、それからレース活動を休止した。



それ以降クルマのコーナーでも書いたがシルビアにハマりサーキット走行会などに出たりしたがいかんせんお金が高くつくのでそれほどサーキットに行く事もなく今では完全にレース活動をしていない。ただ私の自宅の近くにミニバイクサーキットがあり友人Kも最近そこで走っていると聞くと、またもう一度走ってみたいなという衝動に駆られてしまうのであった。

今後もし活動を再開するのであればまたここのコーナーに書いてみようと思う。

レース(もどき)活動” に対して2件のコメントがあります。

  1. 友人K より:

    あれーいつから肩を並べたっけ。。。(笑

  2. SYORI より:

    友人Kさんへ
    毎度、こんなところまで見ているとは・・・。
    オレ的には肩を並べるところまで来たと自負しております!(笑)。
    特に一発の速さだけで見れば凌駕していたのではないかと!(笑)。
    もしかして私のうぬぼれですか?(笑)

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