日航機123便
今日でちょうど23年となる1985年8月12日。この日は日航機123便が群馬県上野村の山中に墜落し520名の尊い命が失われた事故が発生した日です。この日は計算すると私は14歳なので、当時中学3年生だったと思うのですが、この日の事は今でもはっきりと覚えています。
この時は母親と2人(父親は仕事中、妹はどこに行ってたんだか記憶にないですが・・)で晩飯を食べてました。その時カレーライスを食べてた記憶まで残るくらいでしたからよっぽどだったんでしょう。といってもニュース速報の一報を見て、これは大変な事になった・・ということを話していた母親の表情や言葉から、これはただならぬ事態なんだという意識になったと言う感じでした。
その後続々流れる速報や、番組が特別報道番組に急遽変わって、事故状況を逐一報道するテレビに釘付けになっていました。その後真っ暗な山中で火を燻らせている事故現場のヘリ映像を見て、これはもう乗ってる人は助からないだろう・・と子供ながらに思いました。
翌日には奇跡的に4名の生存者が救出され、こちらもテレビで大々的にやっていたのを記憶しています。
長い年月を経て、この事故について改めて詳細を知りたく思い、数年前にある本を2冊読みました。それの事をお話したいと思います。
最近ではクライマーズ・ハイという映画で再びこの事故が脚光を浴びていますが、こちらはあくまでこの事故を題材にした報道者の観点から書かれているフィクションだと聞きました。その方面に携わっていた方にはなかなか良く出来た内容だと言うことらしいですが、この事故に関してはやはり搭乗していた方々・そのご遺族の事、そしてその現場で身を粉にして任務を全うした関係者達の努力を抜きにしては語れないと思います。
今から紹介する2冊は飯塚訓という方が書かれた本ですが、この方は当時群馬県高崎署の刑事官で、事故発生時に身元確認班長として数ヶ月間に及ぶ検死・確認業務を全うされたのですが、その時の壮絶な体験、極限の悲しみを切々と記録したものと、事故後のご遺族や関係者のその後を書いた本です。
・墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便
今までは飛行機事故で何名命を落とした等ニュースで聞いてもピンときませんでしたが、この本を読んで、いかに飛行機事故が悲惨なものであるかを嫌と言うほど思い知りました。墜落時の衝撃は数百Gと言われており、あまり具体的に書きたくは無いのですが、シートベルト着用の為に腹部から切断されている遺体が数多くあった事実、頭部部位に眼球が3つ発見され検死したところ他の乗客の頭部が埋没していた、棺の中にポツンと入っていた丸い肉塊を解いていくと中身が全て脱出している顔部皮膚であった等々、墜落現場では日常からは到底想像できないような状態であったとの事です。
現場から検死場所に運ばれた棺の数が2000を超えていたという事からも、当時の状況がいかに凄まじいものであったか想像できます。520名の遺体がそれだけの数に分離した訳ですから・・。
その中で身元確認班長をしていた著者は、すべての外気を遮断した高音多湿な体育館で身元確認作業を夜を徹して行っていましたが、当時はDNA鑑定も無く、遺体は損傷が酷く夏場なので腐敗進行も早い(腐敗進行すると血液型すら分からなくなるそうです)。それらを生前の資料だけで身元を確認・判断しなければいけないという状態で、特に事故発生直後は身元確認も分かりやすい5体完全な遺体が多かったのですが、日が経つにつれて人間のどの部位なのかも分からないような離断遺体が多すぎて、困難を極めた作業だったようです。
その中で一緒に作業を行った警察・医師・歯科医・法医学者・日本赤十字の方々が自らの体調も省みず、一人一人身元を明らかにしていくのですが、職業意識を超えた力で何とかしてでもご遺族の方に遺体を引き渡すんだという執念にはある種の感動すら覚えます。極度の睡眠不足と疲労困憊で奇怪な行動を取る方が多くいたようですが、どれだけ大変な作業であったか想像すら出来ません。そして人間のどの部分かすら分からないような離断遺体を必死に解明し、ご遺族に引き渡す時の心情も細かく書かれていましたが、この時のご遺族の気持ちは心中察するものがあります。が、その時の著者含め、関係者達の悲しみもまた克明に書かれていて、胸が詰まる思いでした。指1本だけの遺体を身元特定した出来事も書かれていました・・。特に身元がなかなか分からなかった2~3歳くらいの頭部のみの女の子の遺体を毎日手にとっては話し掛けるエピソード、初め猿の死体だと思っていたものが、実は妊婦の腹部から飛び出した胎児であったなど、私自身子供を持つ親として涙無くしては読めませんでした・・。
この本からは愛する人を突然失ったご遺族の究極の悲しみ、人の命はあまりにも儚いものであると同時に儚いからこそ同じ過ちを繰り返してはいけないという事、報道だけでは決して分からない裏舞台でどれだけ多くの人が想像を絶する努力をされたのか、それらが全て克明に記述された本です。現場描写があまりにも凄すぎて正直ショックな内容です。私もそうですが苦手な方もおられるかもしれません。でも、絶対知っておかなければ・読まなければいけない本だと感じます。
現場の方々は口を揃えて「人生観が変わった」と仰っていたそうですが、この現場に居た方ならきっとそう思うだろうな・・って思えました。生きていると言う事・・・それを深く感じさせる1冊です。
・墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実
同じ著者が数年後に執筆した本で、こちらは事故後のご遺族、地元の消防団、自衛隊、医療関係者、日航社員、葬儀屋といった様々にこの事件に携わった人達の出来事が書かれています。何故現場到着まで時間が掛かったのか、一番最初に現場に到着したのは誰であったのか、そういった内容から、日航社員の方々が社の命令ではなく、クビになっても構わないと自主的に活動していた数々の行いなど、前述した1冊とは観点を変えた内容ではあるものの、私はこちらの本の方がある意味印象に残りました。
特に印象に残ったのが、ヘリコプターから現場に降下した看護士と医師。自衛隊員が訓練を積んで行うような事を、自らの命というか危険を顧みず、命を助けるんだという気持ちだけがそうさせたのだと思いますが、誰もが出来るような事ではありません。
このようなエピソードが沢山詰まったこの1冊も合わせて読めば、事故の凄まじさと壮絶さが痛いほど伝わってきます。
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このように墜落後の出来事を克明に記録した本でありますが、異常発生から墜落までの30分間は機長を中心として必死に立て直そうと奮闘された事も記憶に残っています。今ではフライトシミュレーターによる当時の飛行データを数値的に完全再現したものに公開されているボイスレコーダーの音声を重ね、事故直前の状況をほぼ完全に再現した映像がyoutube等で見れます。これを見ても何とも言えない気分になります。死が目の前に迫っているのに必死で飛行機を立て直そうと努力されている姿が目に浮かぶからです。機長の遺体は結局歯が4~5本しか見つからなかったという事ですが、それを特定したという事実自体が物凄い事だと素人ながらに思います・・・。
改めてこの事故で亡くなった尊い命にご冥福をお祈りしたいと思います。
いつもお世話になってますw
こういった本があったんですね・・・・何と凄まじい出来事とその後のこれに関わった多くの人々の涙と震えがくるほどの行動。
人というものの命の儚さ、当たり前の日常の移動手段に伴う恐ろしさ(飛行機という乗り物の便利性と、それと比例する危険度)と極限状態における心の強さを、本当に物語った本なんでしょうね。
機会あったらぜひ読んでみたいです。
こういうことを書かれるSYORIさんを改めてこころから尊敬します。
ありがとうございました。
>technickさん
どうもです。コメントありがとうございます&お返事が遅くなってスイマセンでした・・。
私は以前から史実や歴史に興味がある人なので(学生時代からそうであればもっと頭が良かったのかもしれませんが;;)、この本もそういう観点から手に取ったものでありますが、やはり事実というのはどんな物語でも勝てない説得力があります。これが現実なんだと思う事すら困難な出来事が実際に起こっていて、そこにまるでテレビのドラマのように献身的に身を尽くした多くの方々。事実だからこそ胸を打ち、様々な事を私たちは考えるのでしょうね・・。それが著者が一番求めている事だと思いますし。
飛行機というのは街中を走る車よりも事故を起こす可能性は低くて安全性は高いという事ですが、ひとたびそういった事故が起こるとこれだけ悲惨なんだという事を、私達は勿論のことその業界の方々も決して忘れてもらいたくないですよね。テクノロジーに過信することなく・・。
尊敬なんてとんでもないです・・。ゲームの事ばかり書いてると、「こいつは一日中ゲームの事しか考えてないんじゃ?」と思われそうなので(苦笑)、たまに気が向いたらこんな記事も書いていこうと思ってる次第です。こちらこそありがとうございました。